ハートボイルド以前に
こんばんは。松田悠士郎です。
昨日からスタートしたこのブログ、いよいよ本格的に記事を書いて行こうと思います。
初回に書いた通り、このブログでは私が標榜する「ハートボイルド」について探究していく訳ですが、今回はまず、「ハートボイルド」の根底にある「ハードボイルド」の事を書いてみます。
「ハードボイルド」は、ミステリのサブジャンルという位置づけだと思われ、その意味する所は本来の「固茹で」から変化して、「非情な」というニュアンスで使われているそうです。
さて、そんなハードボイルドですが、私は今までそれほど読んできた訳ではありません。意識的に読んでいたのは19歳から21歳くらいでしょうか。ここで、記憶にある限りですが、今までに読んだハードボイルド小説を列挙します。
「マルタの鷹」(ダシール・ハメット著)
「大いなる眠り」(レイモンド・チャンドラー著)
「赤い収穫」(ダシール・ハメット著)
「テロリストのパラソル」(藤原伊織著)
「飢えて狼」(志水辰夫著)
「裂けて海峡」(志水辰夫著)
「背いて故郷」(志水辰夫著)
少ないですね。志水辰夫先生の作品が固まっているのは、以前、某ブログに短編小説を上梓していた頃にある方から「日本のハードボイルドなら志水辰夫のこの3作を読め」と勧められたので。
ここで身も蓋もない事を書きますと、どうも私、海外のハードボイルド小説は肌合いが合わない様なのです。ただ、私の場合はハードボイルドのみならず翻訳小説自体があまり得意ではないのですが(過去に面白く読めた翻訳小説は「夏への扉」(ロバート・A・ハインライン著)くらいです)。
国内のハードボイルド小説はそれなりに読めましたが、正直ハマる所までは行きませんでした。私の小説の嗜好はもう少しエンターテインメントに寄っているので。
そんな私がどうやってハードボイルドを自分なりに理解したか? それは、何処に書いてあったのか失念してしまった(この記事を書く前に出典を探したのですが見つかりませんてした)のですが、どなたかがインタビューで仰っていたこの言葉です。
「ハードボイルドとは、やせ我慢である」
えらく乱暴に思えますが、核心を突いた言葉だと思います。
それと、ハードボイルドの書き方(ちょっとニュアンスが違いますが)は、脚本家の柏原寛司さんがあるインタビューで仰っていた言葉から学びました。
「ハードボイルドが成立すると思われる3つの要素、ボヤキ、ヘラズ口、捨てゼリフ」
こちらもなかなか乱暴ですが、クドクド説明しない方が格好良い気がします。
そんな知識を下敷きにして、私は「こぶし探偵ともちん」を書いています。
少し話は逸れますが、もうひとつ私の「ハートボイルド」道に影響を与えている物が、実は「シティーハンター」なのです。と言っても作品そのものからではなく、作者の北条司先生がインタビューで仰っていた、「シティーハンター」を描く動機にその原因があります。
「翻訳物のハードボイルド小説が嫌い。だから、そうじゃないハードボイルドを描きたかった」
そう、「シティーハンター」もハードボイルドなのです。実際、初期のエピソードでは結構人が死にますし。
そんな影響と、やはり尊敬する松田優作さんが「探偵物語」で体現した世界をまた見たいという思いが、私に「こぶし探偵ともちん」というハートボイルドを書かせているのです。
熱心なハードボイルド読者から投石でも受けそうな内容になってしまいましたが、ハードボイルドの歴史を紡いできた先人達へのリスペクトは、常に持ち続けていく所存です。
では最後に、「探偵物語」第12話「誘拐」で飛び出したアドリブを紹介して今回の記事を締めさせていただきます。
「日本のハードボイルドの夜明けはいつ来るんでしょうかね? 小鷹信光さん」
(文中一部敬称略)